H/STORY SEASON 01

風の冷たい日に、二度と心細いめに逢わないために、
分厚いウールのコートを、常に用意しておくように。
人は人生のうち、ひとり、あるいはふたりの
「会わなくていい友人」を持つべきだ------

部屋のカーテンを開けると、光が無遠慮に飛び込み、斜めの白い領域が壁にくっきりと帯びる。サヤカはそこで、今まで見ていた壁の色は、白じゃなかったんだと気付いた。本当の白は、発光している。それをサヤカはどこか崇高なことのように感じ、しばらく眺めた。

テレビやネットなどで見る「断捨離」という言葉に、どことなく違和感を覚えていたのだけれど、今、サヤカがやろうとしているのは、まさしくそれだった。子どもがもうすぐ中学生になるから、自分の部屋が欲しい、と言われ、それまで物置として使っていた6畳間を明け渡すことになったのだ。部屋の隅に積み上がり、結婚以来何年も開けたことがなかったダンボール箱を総点検し、捨てるものと、置いておくものを仕分けていく。基準は「ときめく」か「ときめかない」か。どこかで聞きかじったその言葉を、呪文のようにぶつぶつ言いながら、淡々と作業を進めていた。

うちのひとつに、高校時代に使っていたものがまとめられた箱を見つけた。なかには通信簿や卒業証書、そして今や口に出すのすら恥ずかしい交換日記も入っていた。パラパラとめくると、当時の思い出があふれてきた。友人たちと交わした、貸しあった本の感想や、学校の先生への愚痴、好きな男子のこと。そこに時々、詩のようなものも混じっていた。そのうちの一編に、サヤカは目を奪われた。タイトルは「会わなくていい友人」。書いたのは、一番の親友、ナオミだった。

ナオミはサヤカにとって、眩しいほど大人だった。ナオミにとって、世界のすべてのものは「好き」と「好きじゃない」に、丹念に分けられていた。(ただ決して「嫌い」という言葉は使わなかった)。センスのいい彼女の「好き」に、できるだけ自分の「好き」を合わせたくて、サヤカは何かを見たとき、まずナオミがどう言うかをうかがってから、自分の意見を言うところがあった。学校では、不良というわけではなかったけれど、いつも物事を根本から問いただすようなところがあり、「どうしてこれがダメなのか」「どうして今、これをやらなきゃいけないのか」と、納得がいかないことには、つど先生に質問し、困らせていた。きりりと清潔な顔立ち。笑うと一気に破顔する目もと。髪型は前髪をパツンと切り揃えた重めのボブで、これは校則で禁止されていた、耳のピアス穴を隠すためでもあった。放課後になると、高校生には不釣り合いなほど質のいいダイヤのピアスをつけながら、サヤカにこう言った。「貴金属って、すごいパワーっていうか、人をちゃんと見せる力がある思う」。ある日、制服のブレザーが窮屈であまり好きではないとサヤカが愚痴をこぼすと、ナオミは「何言ってんの、窮屈だからいいのに。ラクチンがいいんだったら、ずっとジャージ着てれば」。また、こうも言った。「制服、毎日ブラシでホコリ払ってる?ちゃんと手入れしなきゃ。ずっと着るんだから」そんなナオミにサヤカは、恋にも似た感情を抱いていた。

ダンボール箱の奥には、制服のブレザーも、きちんとたたまれて入っていた。サヤカはそれを取り出した。言いようのない懐かしさとともに眺めていると、不意にあることに気付き、愕然とした。それは生地が擦れやや光沢を帯びていたものの、糸のほつれもなく、型くずれもほとんどなかった。そう、高校の3年間、ほぼ毎日着ていたのにもかかわらず、だ。

その後ナオミとは、あと味の悪い別れ方をした。高校3年になって進路を決めるというとき、ファッションの専門学校に行きたいというナオミにサヤカは、大学に行かないなんて、バカっぽくて恥ずかしいというような言い方をした。その発言はむろん、ナオミがどこか遠くにいってしまうような、寂しさとジェラシーからくるものだったが、「だったら、大学に行く子といればいいじゃん」と言い放ち、それから一切口を聞かれなくなった。卒業してからも交流はなく、共通の友人から海外に行ったという噂は耳にしたものの、情報はあいまいだった。あれから、20年以上もの時が流れていた。その間一度も会う機会はなかったが、しかしその実、サヤカはナオミのことを、たびたび思い出していた。いつかナオミが「アニスっぽい味が好き」といったフランスの洗口液を、いまだに使い続けているし、洋服を買うときは「生地を裏返して縫い目を見れば、つくりの良さが分かる」というアドバイスも守っていた。また洋服ブラシを使って手入れする習慣も、もともとはナオミから教わったものだった。今の生活のあらゆるところに彼女の存在が、当たり前のように関わっていた。

サヤカは、制服のブレザーや交換日記のたぐいを丁寧にもとに戻し、「ときめく」ゾーンに仕分けた。

Text: Mitsuharu Yamamura