Story of Advanced Standard

「スタンダード」、その普遍的なものを、どのようにアップデートし、自分のものとして表現していくのか。ブランドと所縁のある方をはじめ、核となるフィロソフィーをお持ちの方々に、その方なりのスタンダードに対する考え方や見つけ方などをインタビュー形式で綴る「Story of Advanced Standard」。

第3回目は、フードディレクターの浅本充さんにお話をお伺いしました。浅本さんのお仕事は、カフェなどの店舗オペレーション、メニューディレクションやケータリングと多岐に渡ります。そして、食だけには止まらず、その周りを創る音楽やインテリアなどを含むライフスタイルのディレクションもされています。

——いつからいまのような仕事をしたいと思っていらっしゃいましたか?

浅本:16,7歳ごろから食の仕事がしたいと思っていました。その当時は実家近くの神戸のカフェでバイトをしていたのですが、食の仕事といってもバリスタやコックではなく、フードビジネスをしたかった。年を重ねても、このまま自分のセンスは変わらないだろうという絶対的な気持ちがあり、20歳の頃にはすでにいまの様な構想がありました。

——ご自身の考え方やセンスが、もう変わらないなと思ったのはどういった瞬間ですか?

浅本:文化的なものを引き継ぐのに「it」なものを創る必要がないなと感じたからです。今流行っているもの、今やりたいことではなく、ずっと続いてきたものを次の時代に、良い形と良いテンションで引き継ぎたい。洒落たことはやらずに、嘘偽りのない良いものを、次の世代にしっかりとつなぐためのバトンになりたい。昔から続いているものが僕の中にストンとハマったので、それを仕事にしようと思いました。ちゃんと伝えることを仕事にしたい、と思ったのが16,7歳の時でした。

——どんなものにインスピレーションを受けていたのでしょうか。

浅本:生まれ育った神戸という街は、食に対する環境が良かったと思います。近くには、いつも良いコーヒーや、良いパン屋さん、良いお菓子がありました。良いということは美味しい、美味しくないじゃない。日本初ではない、海外からやってきた人たちが、それぞれに伝えたいことを伝えるために始めたお店が多いんです。現地の人が伝えたいという強い気持ちを持ったお店が多かったんでしょうね。僕はドイツパンで育ちました。一番近いパン屋さんが酸っぱいドイツパン屋さんだったので。近所にはとても美味しい直焙煎のコーヒー屋さんが3つありました。父や祖父に豆の種類やシングルオリジンを指定されてお遣いに行く、それがすごく楽しかった。サイフォンをみるのも好きでした。朝は、サイフォンがコポコポする様子を見ながらトーストを食べていた記憶があります。

それから、フィルムがモノクロからカラーに移る時期の50年代、60年代のフランス映画にハマりました。神戸はあちこちでそういった映画がミニシアターでたくさん上映されていたので、学校をサボってよく観に行っていました。食事の風景にめちゃくちゃ影響を受けました。例えば、「地下鉄のザジ」という映画の中で、主人公の女の子、ザジがムール貝を食べて、殻を投げるんですよ。そういう風景って面白いなって。以前、アルザスのワイナリーにお世話になった時に、ムール貝を食べたら畑に投げるという光景に遭遇して、デジャブじゃないですけれど、本当に食と文化ってこういうことなんだなと思いました。

——映画から一番インスピレーションを受けたのは食だったんですね。浅本さんはファションもお好きだと思いますが、その関係性は?

浅本:イコールファッションなんです。僕はバカンス映画が大好きで、特にエリック・ロメール監督の「四季の物語」という四つの季節の四部作にハマりました。春夏秋冬、それぞれの季節のファッションを楽しみながら、その季節にふさわしい場所に行き、最も美味しいものを食べる……ちゃんと目的を持った、その時々のシチュエーションのある食とファッションの繋がりを感じて。そういう時は必ず、おばちゃまがクラシックカーにヴィトンのトランクをどーんと放り込んで、エルメスのスカーフをして、2時間ドライブをして目的地までいくなんてシーンがありますよね。…そういうファッションに引かれました、そこに行くためのファッション。

フランスのレストラン文化も同じことですよね。日本だと星付きのレストランに行くときも、会社帰りの適当な格好だったりしますよね。フランスでは、レストランに行くまでの時間やファッションもその日のディナーに含まれている、全部楽しむ。食の周りのこと、お花も音楽も大切にする、食べる仕草や会話の内容も大切、そんな文化的な繋がりがヨーロッパは素敵ですよね。

——浅本さんのスタンダードである、この考え方が16,7歳の時点で完成していた、ということですね。そのスタンダードを、どう実戦に移していかれたのですか?

浅本:そうなんです、16,7歳で考え方の軸は完成していました。(笑)でも、ちゃんと遠回りをしようと思ったんです。フードビジネスの真ん中に身をおいて、自分の発信力や発言の価値をあげるために、日本の、そして東京のトップオブトップの人たちと関わってみようと思い、東京に出ました。東京での出発点はフランス人オーナーのレストランでサービスの仕事です。オーナーは夜遊び好きのフランス人の3人のうちの1人だったので、会いたかった人とかなり繋がることができた。普段はとてもお会いできないような方々に可愛がっていただき、いくつかのレストランで働かせてもらった後に、自分の考え方や軸があっているかどうか、海外に答えあわせに行きました。

スパイクリーが監督・制作・脚本・主演を手がけた映画「ドゥ・ザ・ライト・シング」に影響を受け、舞台となったブルックリンに10ヶ月ほど住みました。大好きなアーティストのジャン=ミシェル・バスキアが住んでいたフォートグリーンという場所です。ブルックリンはジェイ・ジーやマイケル・ジョーダンの出身地でもあり、僕の大好きな食とカルチャーが生まれた場所でもあります。ニューヨークとパリを往復しすぎて、3回目のアメリカ入国で捕まって強制的に帰されましたけど(笑)ここでも自分のスタンダードを再確認することができました。

——今後はどのようなことに携わっていこうとお思いですか?

20代、30代、40代…と10年スパンで区切って、どうありたいかを考えてきました。それを計画通りに着々と進めている感じです。20代、30代は発言力と説得力をあげるために使いましたが、40代はセンスのいい一部の人に向けたものではなく、今まで考えてきたことや取り組んで来たことを、もっとマスゾーンにまで伝え広げていきたい。建築設計事務所と組んで、大きな施設などにも携わっていきます。

僕は、フードビジネスの中のオーケストラの指揮者のような立ち位置だと考えています。皆をまとめて最良の形にしていくために、食、素材、音楽、インテリア……様々な要素を一番理解しなくてはいけない。一歩一歩、無駄足を踏まないように生きてきました。一歩も下がりたくないんです、半歩でも前に進むことだけを考えています。基本的には面倒臭がりなので、その一瞬一瞬に集中して、時間を大切に前に駒を進めて行きたい。

僕のような職種は、プライベートを持ち出すことも仕事の一つです。どのような時間を過ごしているかが仕事に影響してきますよね。古き良き、今まで続いてきたものを、しっかりと次の世代に繋いでいけるよう、その架け橋になれるような時間の使い方をしていきたいですね。

背景にあるストーリーやカルチャーをしっかり組み込み、分かりやすく噛み砕き、古き良きものを伝えていく。ご自身のスタンダードをしっかりと持ち、そこに向かって逆算し、1歩ずつ検証しながら。ゴールから逆算し、着実に進んでいる浅本さんの変わらないスタンダードは、その情熱と豊富な知識で、丁寧に進化しながらさらに深く広がっているように感じました。

フードディレクター/株式会社ユニテ代表
浅本 充/Makoto Asamoto
数々の飲食店で経験を積んだのち、2009年に店舗オペレーション、メニューディレクションやケータリングを手掛ける株式会社ユニテを立ちあげる。衣食住にとどまらず、その背景にあるカルチャーやストーリーをミックスした時間を提案し、提供している。
http://www.unite-tokyo.com/
https://www.instagram.com/makoto_asamoto/

photo:1〜5枚目までは浅本さん撮影
撮影協力:IDEE CAFÉ PARC 東京六本木ミッドタウン店
Interview: Hisako Namekata